奥入瀬焼の創業者【陶芸家 蛯名和生さん】
こんにちは。おいらせ町地域おこし協力隊 さわぐちです。
今回の”町の人”は、陶芸家 蛯名和生さんです。
デザイナーから陶芸家に転身 幅広く活動する「奥入瀬焼」の創業者 蛯名和生さん(74歳)
蛯名和夫さんは、広報11月号で紹介されています。
(※画像をクリックすると、広報おいらせをご覧になれます)
蛯名さんに話を聞いてみた!
蛯名和生さん(74歳)
青森県上北町出身(現 東北町)。
昭和39年の東京オリンピックの影響を受け、京都、東京、埼玉で、着物やチケット、包装紙等のデザイナーとして活躍し、平成4年においらせ町へ移住。独学で陶芸を始め、奥入瀬焼を完成させる。
おいらせ町に移住する決め手はありましたか?
高校を卒業し、京都に18年、関東で十数年過ごし、45歳の時に青森県に帰ってきました。
1年かけて土地を探していた時に、気に入ったのが”おいらせ町”です。
●1番の決め手は、アクセスが良いところ。
私は職業柄、個展を各地でやります。おいらせ町には高速道路のICがあるので、青森県内どこにでも移動しやすく、また東京や仙台のデパートで個展をする際も、東北新幹線(八戸駅)が近いので、とても動きやすいです。
日常の生活をするにも、三沢・十和田・八戸の真ん中に位置しているので、便利ですよ。
●おいらせ町には〇〇〇がある。
おいらせ町には、奥入瀬川が流れています。
個展などで「おいらせ町には、奥入瀬川が流れているんです。」その一言が、個展に足を運んできてくれたお客さんとの会話のキッカケになる。大抵のお客さんは、十和田市にある”奥入瀬渓流”と勘違いしていますがね。でも、そこからも会話が生まれるんです。
私の場合は、奥入瀬川でしたが、『住みたいところに何があるか』で決めるのもいいかもしれませんね。
●青森県にUターンして
灯台下暗し。外に出なければ、青森県の良いところも、足りないところも気付かなかった。
京都や東京に出たことで、比較対象が出来た。というのが、芸術の面でも役に立っています。
何かを学んで帰ってくると、青森の面白いことがたくさん見つかる。逆に、足りないことに気付いたら、自分で作り上げればいいんですから。おいらせ町の北部地区は特に発展してきている。それは足りないものを、どんどん作り上げていった結果じゃないかな。いろいろな人が入ってきている地域で面白いですよ。
これから挑戦したいことはありますか?
今まで作品作りに没頭し、教室は開いてこなかったですが、来年からは教室を開きたいなと考えています。
来年75歳になるし、奥入瀬焼を残したい。という気持ちが出てきましたね。
ここら辺で、陶芸をしている人はいないし、自分が広めていかないとなと考えています。
陶芸の他にも、絵刺し子の教室も開きたいと考えているので、興味のある方はぜひ声を掛けてください。
工房「青々窯(せいせいがま)・ギャラリー旦草(たんそう)」
工房は、ご自宅の隣。この看板が目印です。
工房に続くまでの道には、タヌキ。
ギャラリーの、1階・2階にはたくさんの作品があります!
蛯名さんが創る「奥入瀬焼」は、町の四季や奥入瀬渓流を、独特な筆のタッチと鮮やかな色合いで、美しく描かれているのが特徴です。
奥入瀬渓流の四季を描き上げた作品は、とても綺麗です。
他にも素敵な作品の数々。
蛯名さんは、陶芸のほかに、日本画や、絵刺し子も手掛けています。
素焼きした作品も見せていただきました。
蛯名さんは、陶芸の技術はすべて独学で、土練から絵付けまで一貫しておひとりで作り上げているそうです。
すごい!!
おいらせ町は、色んな分野で活躍している方がいて、本当に面白い町です。
移住者の方もたくさん活躍しているので、お話してみたい方がいれば、お問い合わせください~。
information
工房「青々窯・ギャラリー旦草」では、まだまだたくさんの作品を展示・販売していますので、ご興味のある方はぜひ♪
※不在の場合がありますので、見学の場合は事前にお電話することをおすすめします。
蛯名さんが手がける奥入瀬焼は、ふるさと納税の返礼品にもなっているので、全国の方もチェックしてみてください!
住所:おいらせ町鶉久保(うずらくぼ)75-54
電話:0176-52-7169